資料そのままの時代歴史小説について思うこと

先日の似非オリジナル小説の件では「不快」と書いた理由をさらにもう少しだけ。

……私も歴史時代小説を創作して、投稿サイトでも公開していますが、「資料感丸出し」にならないことを常に意識しながら、書いてます。
具体的には唐突な教科書みたいな文章の説明文。
例えば
1519年●●が●●に戦線布告し、皇帝は●●へ進軍するため10万の軍を集め、将軍にA男爵を任命……云々。
それがずっと延々と書かれると、読みづらい。
だから私だったら即バック(ちょっと読んでさよならの意)。

説明はあくまでも情報であって、小説ではありません。小説とは主人公とそれを取り巻く人々のドラマですから、人間同士の動きや会話が必要不可欠です。
そしてその人間はひとりひとり、立場や思惑が異なり、素直に従うもの、面従腹背のもの、真っ向から意見するもの、それをよく思わないもの、どうでもいいから腹減ったと思っているもの……さまざま。
そんな人間同士の空気というか、臨場を描写で文章に起こして、読み手に「魅せる」のが小説の醍醐味ではないでしょうか?

といいつつも、所詮は素人が書いている小説でもあるんで、説明文だらけだろうがそうでなかろうが、本来ならばどうでもいいんですけども。

誰もが知っている超メジャーな戦国時代や幕末ならともかく、実在の人物――しかもマイナーで資料もごく限られた題材でありながら、ただ要約しただけのシロモノを「オリジナル小説です」と出されるのは、同じ時代歴史小説の書き手として「とても不愉快」です。

その方、交流に長けてらっしゃているようで、称賛コメントのなかには「資料をたくさん使って書かれているはずだ」とあって、複雑な気分。
私が読む限り、参考にした書籍の一部をそのまま文章変えて、書いただけだったから……(^.^;

ほかの歴史小説も少し拝読しましたけど、ラストを少し変えただけで、なにかの資料をそのまま要約したような作風。だから、時代歴史小説=資料そのままでもOK、という認識の方なのかもしれません。
実際、この方だけでなく、時代歴史小説ジャンルの作品読むと、資料風説明文に時々会話という作風をけっこう見かけます。だから意図的に書いたのではなく、これが歴史小説だ、と認識されているのだと思います。
(それが誤った認識かどうかは私には断定できません。あくまでも価値観の違いですから)

……それだったら、私だってなんぼでも量産できるよ。資料ブログの文章、そのままカクヨムに投稿すればいいだけだし(笑)
でもそれをさすがに「オリジナル小説でござーい」と出す勇気はないですし、おのれの矜持が許しません。だから歴史コラムとして公開しています。

だからせめて、参考文献を明記すべきではないでしょうか?
ノンフィクションだって、本を一冊書くのは知識はもちろん、とても労力が必要ですから、資料を使ったのならば、敬意を払うべきだと私個人は思っています。

いつも書いてますが、あくまでも私個人の考えであって、これが正解だ、という話ではないです。そういう意見があるんだ、とぐらいに思ってください。
ずっと以前、似たようなこと(オリジナルとは?)を某SNSに投稿したら、「悪口を言うな」と集団で説教(?)されたことがあります。だから、ここだけの話としてブログに投稿した次第です。

だから普段は創作に関する話題は控えめにしていますが、どうしても意見したいときだけ投稿しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。